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Vol.29 ロシア最後の女帝のラブ・レター

女帝エカテリーナ2世、彼女のことをご存知ですか?

最近、東京都美術館で行われている大エルミタージュ美術館展のCM等で沢山流れているので、ご存知の方も多いかもしれない。
ロシアの母と呼ばれ、国民から愛された最後の女帝・・・エカテリーナ2世。
大エルミタージュ美術館のPR番組として、「女帝エカテリーナ愛のエルミタージュ」が1ヶ月程前に放送され、それを見た私、遅ればせながら、関連本を購入してみた。
「恋文 女帝エカテリーナ二世 発見された千百六十二通の手紙」(小野理子・山口智子 潟Aーティストハウスパブリッシャーズ 2006年10月)、である。

ラブレター・・・普通の手紙すら、最近書いてない気がします・・・ううむ。

番組は、女帝エカテリーナが恋人ポチョムキンに宛てた手紙を元に、山口智子が足跡を追う、というものだったが、本のほうはさらに神戸大学名誉教授の小野理子との対談を軸に構成されていた。

とはいえ、基本的にラブレターである。

それも、ものすごーーーーく、甘ーーーーーい、やつ。
人生若葉マークな私は、書いたこともいただいたこともないような、熱烈な恋文。
18世紀にしたためられたそれらは、幾たびの戦争とロシア革命さえ乗り越えて、今まで残っていた。
そのほとんどが、エカテリーナ2世からポチョムキンに宛てられたもので、生前ポチョムキンが保管していたもの。
何と言っても、女帝と家臣の恋だったので、ポチョムキンからエカテリーナ2世へ宛てたものの多くは、彼女が処分してしまったらしい。
女帝からの手紙を保管していたポチョムキンは、だから、そのリスクを常に背負ってでも彼女の手紙を残しておきたかった、ということなのであろう。

しかも、お二人は秘密の結婚までしてたそうな。
(女帝と家臣の結婚は、全く認められていなかった。ばれたら・・・決死の覚悟な結婚です)

離れても、最愛の人のために。

ちなみに、ポチョムキンはずっとエカテリーナ2世といたわけではない。
当時の外交戦略上とても重要だったクリミアを統治するため、彼は彼女と離れ離れになり最期をその地で迎えた。
この地を安定させること、すなわちロシアの安泰へとつながることだった。
それは、女帝エカテリーナ2世の安泰へとつながる。
ポチョムキンは、安定させただけでなく、この地を豊かにした。

下記の手紙は、ある程度クリミアを安定させ女帝がそこへ訪問した後、ポチョムキンによって書かれたもの。
ポチョムキンは、度重なる過労もあってか、この4年ほどのちに、草原のただなかで病死している。

「我らが子孫たちは、こう語り継ぐでしょう。ほら、これが偉大なるエカテリーナが植えるようにお命じになった林だよ。この砂漠の栗の木もそうなんだよ、と。人びとは、清らかな水を飲むたび君の配慮のことを思うでしょう」

(「恋文 女帝エカテリーナ二世 発見された千百六十二通の手紙」(小野理子・山口智子 潟Aーティストハウスパブリッシャーズ 2006年10月)より引用)

彼の手腕ももちろんあったと思うけれど、人間の強い強い想いは、一体どこまでゆけるんだろう。
・・・などと。

去オつの海 ねば塾プロジェクト係 K


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